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地域貢献

戦時中から継承する女性活躍の場づくり

1932年安川電機から独立し、主婦7人を雇ってスタート。
男性は徴兵で兵隊さんとして国のために働いていた中で、地元にはお母さん、娘さんたちがいて、マイカ加工やモーターコイル加工のような繊細な作業は女性の活躍の場として、多いに元気な力をふるっていただける環境をつくりました。

当時の資料の写真

創業者自らしたためた岡部マイカ工業所の第一歩。
筆まめなカリスマ経営者だった創業者を慕う社員の表情が凛々しい。社員の半数は女性だった点にも注目したい。

女性のための福利厚生も充実

当時、社内に美容室やクラブ活動として裁縫、茶道、華道の教室があったりと、大勢の女性社員のための配慮が整っている職場環境でした。もちろん大勢の女性社員の班を束ねるのは女性の班長さんで、男性がタジタジするほどの采配を振るわれていたとも伝えられています。

  • 昭和7年〜

    昭和7年〜の写真
  • 昭和16年〜

    昭和16年〜の写真
  • 昭和19年〜

    昭和19年〜の写真

昭和7年頃、創業初期は15名程度でスモールスタート。わずか3年で約40名に増え、その後も順調に増員し、全員で慰安旅行に参加できるくらい経営も安定していった。

現在も支え続ける地域の雇用

操業30年の1962年、社員は624人で、女性は496人(約80%)でほとんどが地元の採用。お盆には、岡部マイカだけで数百人の盆踊り隊が中間市の商店街を練り歩くほどに地元に密着していました。現在でも男女比率は約50%と女性の就業比率が高く、地元採用の比率は現在も高く、95%以上の社員が自宅から通勤しています。

当時の製造部門の写真

製造部門では手先が器用で繊細な作業が得意な女性が重宝される。年によっては女性比率のほうが高いときもあるほど。地域の女性雇用活性化を長年にわたり推進してきたSDGs企業ともいえる。

継承する技術開発力

操業約50年の1981年6月20日(朝日新聞記事参照)
安川電機を退職して独立し、安川電機、三菱電機から技術供与を受け、更に業務提携を進めて技術を築いてきました。
地元大学の卒業生を受け入れ、出身大学に出向しての研究開発や、大手樹脂メーカーとの共同開発で新しいマイカ専用の樹脂を開発して作り、世界初の煙の出ない電熱用マイカ板の製品で、岡部マイカのブランドを世に示せた時でもあります。当時はアスベストの代替品としての需要が高かったこともあり、社会貢献を目指して今尚研究開発に力をいれています。

当時の新聞記事の写真

世界のGE社にもその功績を認められ、創業者がアメリカ本国に招待されたことも。直接現地工場を視察し、豪華な祝賀パーティにも参加した。そのことは当時のホットな話題として新聞にも取り上げられたほど。

三菱電機の重役の方々から創業者宛てに頂戴した寄せ書きの写真

当時、三菱電機の重役の方々から創業者宛てに頂戴した寄せ書き。宝物のように、古いアルバムのなかで大切に保管されていた貴重品。